オーゾンヌ (ロバート・パーカー著「ボルドー第3版」より)
ボルドーを初めて訪れる人が、どれかひとつのシャトーとブドウ畑を見るつもりであれば、サン=テミリオンの中世の城壁の外にある丘陵斜面に位置するこの小さなオーゾンヌのブドウ園に限る。
オーゾンヌはすばらしい場所にあるが、何よりもすばらしいのは、古いブドウの木と、ワイン・セラーがある広い石灰岩の洞穴である。オーゾンヌは、ローマの詩人であり、紀元後320年から395年にかけてこの地で生涯を送ったアウソニウスという人物にちなんで名づけられた。
彼はこの地域(明らかにサン=テミリオンよりもボルドーに近い)にブドウ畑を持っていたことが知られている。オーゾンヌにはローマ時代の遺跡が残ってはいるが、アウソニウス自身がこのブドウ園と何らかの関わりがあるかどうかは、非常に疑わしい。
オーゾンヌが歴史的に重要であり、またボルドー全域のなかでは最もワインづくりに恵まれた場所のひとつであるにもかかわらず、1960年代、1970年代のワインの質は平凡であった。いや、貧弱とさえ言えた。質が変化したのは、このシャトーの所有者が新しい管理人であるパスカル・デルベックを雇い入れた1976年のことであった。
1940年代、1950年代、および1960年代のオーゾンヌのワインの多くは、ドライで、くたびれて、弱々しい色合いであったが、デルベックは、ボルドーのその年のヴィンテージで最高とされた2つのワインのうちのひとつである1976年の傑出したワインを皮切りに、次々と優れたワインを生み出していった。
極めて少量生産のオーゾンヌを入手することはほぼ不可能である。ポムロルの名高いペトリュスよりも稀(まれ)なワインであるが、それよりも値段はかなり安い。オーゾンヌのスタイルは、サン=テミリオンのもうひとつの名高いシャトーであるシュヴァル・ブランとは、まったく異なるものである。
オーゾンヌを所有していたデュボア=シャロンとヴォティエの2つの家族の関係は、友好的なものであると思われていたにもかかわらず、内部的な争いと、ワインづくりの考え方に関する絶えざる軋轢(あつれき)が高じて、1990年代半ばに、ヴォティエ一族はデュボア=シャロン夫人から持ち株を買い取った。
醸造責任者であるパスカル・デルベックにとって代わったのはアラン・ヴォティエで、彼はリブルヌのミシェル・ロランから、醸造についてのアドバイスを得ている。デュボア=シャロンとデルベックのワインづくりを支持する人々は、オーゾンヌのワインづくりが、より外向的で商業主義的なスタイルだと文句を唱えるが、これは利己的な思惑を持つ人々の愚痴でしかない。
ヴォティエとロランの管理下での唯一の変化は、天候状況が許せば、収穫を少し遅くすることと、マロラクティック発酵をタンクではなく樽の中で行うといったことである。新しい体制下でつくられた最初の2つのワイン(1995年と1996年)は傑出しており、オーゾンヌのエレガントさ、繊細さ、ミネラルをベースとした驚くべき特徴などすべてを備え、より凝縮して、強力であった。
事実、樽と瓶での1995年のオーゾンヌの育成ぶり(エルヴァージュ)は輝かしいもので、しかもこのワインは、デュボア=シャロン/デルベック陣営の論議の的となった、「典型的な特色」を何ひとつ失ってはいないのだ。私は、オーゾンヌが、熱心なアラン・ヴォティエの指導のもとで、より一貫性を備え、より高い質へ達するものと予測している。
パーカーのコメント(91-94点)
「私はボルドー滞在中にこのワインをテースティングしたが、それはとてつもなく印象深いものだった。それから4か月後、さらに成長したこのワインはこのビンテージのスーパースターのひとつであることが明白になった。色は健康的な濃い紫色で、ブラックフルーツ、リコリス、ミネラルなどの天国のようなアロマがあり、コート・ロティのようなローストのニュアンスもあった。このワインの魅力的なアロマは、爽快なフレーバーと実によくマッチしている。1995年、1996年のようなパワーの塊ではないし、力強さ、抽出度、豊満度も及ばない。しかし、1997年は複雑なアロマに、重苦しくはない適度な力強さがマッチして、シュールな作品となった。このミディアムボディのワインはケタ違いの完熟度と壮麗なバランスが感じられる。このワインは、飲み疲れしないワインは香りや力強さ、余韻などはどうあるべきかを教えてくれる格好の教材である。このオーゾンヌはこのシャトーのワインとしてはきわめて外向的であるが、20年以上は熟成が続く力を持っている。予想される飲み頃 2005〜2020年」