ロバート・パーカー著「世界の極上ワイン」より

究極の舌を持つテイスター、ワインの世界を変えた男、 帝王ロバート・パーカー自身の厳しい眼で選ばれた9カ国156のワイナリーを詳述しています。それはまさにパーカー自身の過去30年にわたるワイン評論の集大成と呼べるもので、ここまで冷静かつ詳しく調べ上げていることに感嘆させられます。

シャトー・ラ・ミッション・オー=ブリオン(La Mission Haut-Brion)

かつてはオー・ブリオンの一部で、実力は5大シャトーに全く引けを取らない

かつてはシャトー・オー=ブリオンの一部であったタランスにあるラ・ミッション・オー=ブリオンは、ボルドーの産地全域における最も偉大なワインのひとつを生み出している。このシャトーは国道250号線をはさんで長年のライバル、オー=ブリオンと対峙しており、20世紀のほぼ全期間にわたって、比べるもののない輝かしい記録を持つ。

1682年にこのシャトーの所有者は、サン・ヴァンサン・ド・ポールによって設立された「ミッション (伝道)の説教者」と呼ばれた宗教団体にこのシャトーを遺産として寄進した。礼拝堂が建てられ、それは今もなお、敷地の中にある。ラ・ミッションの信者たちがいたため、ワインには一定の人気があった。ラ・ミッション・オー=ブリオンは、ボルドーの大司教や、リシュリュー元師やギエンヌの知事をはじめとした著名な人々の食卓を飾った。フランス革命の後で、シャトーは僧たちから没収されて売却されたが、その名声はますます広がり続けた。

ラ・ミッション・オー=ブリオンのワインは、世界中の高名な人々の食卓に登場し始めた。シャトーの古い文書によれば、1922年当時、1918年のワインの値段は、ラフィット・ロートシルトが1本8フラン、マルゴーとラトゥールが9フランのところ、ラ・ミッション・オー=ブリオンは10フランという値をつけていた! それよりも高価だったのは14フランというシャトー・オー=ブリオンだけであった。

第一次世界大戦の後(1919年)にフェレデリック・ウォルトナーとその家族がこのシャトーの所有者となった。ウォルトナー家は、情熱的なワイン商で、自分たちのワインを改良し続けたいという願いを持っでいた。現在の世界で通用するワインとしてのラ・ミッション・オー=ブリオンの名声は、主に、20世紀のほとんどを所有者としてとどまった彼らの実績なのである。

1983年にシャトー・オー=ブリオンの所有者であるディロン家がウォルトナー家の子孫からラ・ミッション・オー=ブリオンを購入した。ドメーヌ・クラランス・ディロンSAは、ムーシー公爵夫人(先のフランス大使であり、ケネディ政権時代に財務長官を務めた故ダグラス・ディロンの娘)が主導し、管理はジャン=ベルナール・デルマが指揮をとっている。

彼らは品質を追求するために積極的に次のような取り組みを行なった。植え替えのために自家栽培のクローンを研究して選別して利用した。1987年には古いシェ(ワイン蔵)を現代的に改装し、最先端の新しいキュヴィエ(発酵設備)を設置した。新しい醸造学とラ・ミッション・オー=ブリオンの伝統の古い魔法の組み合わせによって、この歴史あるシャトーは、世界でも最も現代的で、最も傑出したワイナリーのひとつという称賛を得るようになった。

65年近くに及ぶウォルトナー家の管理のもとで、ラ・ミッション・オー=ブリオンは、巨大な名声を築き上げた。ウォルトナーの才能はボルドーで広く認められていた。彼は天賦の味覚を持つ鑑定人であり、エノロジストで、1926年に清掃が簡単な、内側をガラス・コーティングした金属製発酵槽を導入したパイオニアでもある。評論家の多くが、ラ・ミッションの濃厚でリッチな、パワフルでフルーティな個性は、これらの背の低い、ずんぐりした形の発酵槽を使うことで、発酵中のブドウの皮と果汁の接触を多くしているためだとしている。これらの発酵槽は1987年に新しい経営陣によってコンピュータ制御の最先端の発酵槽に取り替えられた。

ラ・ミッション・オー=ブリオンのワインのスタイルは常に強烈な豊かさがあり、フルボディで、すばらしい色とエキス分と、たっぷりのタンニンがあるというものである。私は1921年以降のラ・ミッションの最良のヴィンテージをすべて味わうという至福の経験をしているが、このワインは瓶の中で30年から50年も安々と持ちこたえる。最大のライバル、オー=ブリオンよりも、常にはるかにリッチで、パワフルなワインである。

このことから、また、貧弱または凡庸なヴィンテージでも一貫してめざましい成果を上げることから、ラ・ミッションはボルドーでも最も入気の高いワインのひとつになった(ポイヤックのラトゥールとともに、貧弱なヴィンテージに良いワインをつくることにかけては、ボルドーで最もすばらしい記録を持つ)。

1983年以来、ジャン・デルマは、このシャトーのワインに自らのワイン醸造の哲学を刻むため、ただちに行動に移った。シャトーが1983年に売却されるや、ワイン醸造のスタッフは即座に解雇された。メルロの割合を45%にまで増やし、カベルネ・ソーヴィニョンとカベルネ・フランは減らされた。彼はまた新樽の使用比率を増やし始めた。ウォルトナー時代には経済的な理由でできなかったことである。今やオー=ブリオン同様、ラ・ミッションは新樽を100%使っている。

デルマによる最初のヴィンテージは優良だったが、以前の最高の年に見られるような力強さと並外れた豊かさはなかった。技術的には正しいワインでも、少しばかり魂と個性が足りなかったのだ。しかし、シャトーによる最先端のワイン醸造設備の設置は1987年のヴィンテージに間に合い、ワインの品質は栄えある年のそれに戻った。ワインはより清潔になり、欠点(ラ・ミッションの古いヴィンテージのいくつかに見られた過剰な揮発酸や田舎臭いタンニン)は、細部にまで行き届いたジャン・デルマの管理のもとではお目にかかれそうもない。

それでも、1983年から1986年の過渡期を経て、ラ・ミッション・オー=ブリオンはそのヴィンテージで最良のひとつとなった1987年、見事な1988年、そして賛沢で完壁な1989年などをつくった。1989年は間違いなく1980年代で最上のラ・ミッションだ。1990年代のヴィンテージは、雨がちの9月に悩まされたにもかかわらず、ボルドーの最上のワインに入るものがつくられた。もちろん2000年は不死身で、1998 年もほぼそれに近い。 ラ・ミッションの新しいスタイルが、より古いヴィンテージと同じくらい長く熟成するものだとは考えられないが、古いヴィンテージほど近寄り難く、タニックで、時折田舎臭いこともまたないだろう。最終的な分析では、ラ・ミッション・オー= ブリオンは依然として一級シャトーの品質のワインである。