ロバート・パーカー著「世界の極上ワイン」より

究極の舌を持つテイスター、ワインの世界を変えた男、 帝王ロバート・パーカー自身の厳しい眼で選ばれた9カ国156のワイナリーを詳述しています。それはまさにパーカー自身の過去30年にわたるワイン評論の集大成と呼べるもので、ここまで冷静かつ詳しく調べ上げていることに感嘆させられます。
 

ドメーヌ・ルロワ(Domaine Leroy)

華奢な体から発する強烈な個性はルロワのワインのイメージそのもの

現在、ドメーヌ・ルロワは、ブルゴーニュにおける最も偉大なワイナリーであり、反論の余地がないほど長命で強烈な、妥協のないワインをつくりだしている。皮肉なことにこのワイナリーは、品質とは全く関係のない理由で批判されることが多い。

100年以上も前の1868年、フランソワ・ルロワはムルソーに近いちっぽけな村、オーセー・デュレスにメゾン・ルロワを設立した。それ以来、ルロワは伝統的な家族経営により今もなお存続している。19世紀末にフランソワの息子ジョゼフとその妻のルイーズ・カーテリーは、ブルゴーニュ最上のワインと最良のブドウを栽培している最上の畑を選ぶようになり、小規模のワイン仲買業を拡大した。

彼らの息子アンリ・ルロワは1919年に家業に加わった。アンリは、コニャックの近くにオー・ド・ヴィー・ド・ヴァンをつくる子会社を設立した。彼はまた、グランド・シャンパーニュ地方の中心のセゴンザックに蒸留所を設立した。彼は1942年にジャック・シャンボンからドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの所有権の半分を購入して、その後の40年間、このワイナリーに献身して、ここを発展させ、世界の鑑定家たちに、ブルゴーニュの花飾り、あるいはブルゴーニュの珠玉と言わしめた。

アンリの娘であるラルーは、情熱的で、やせているがたくましく、小さな火の玉のような人物で、1955年に家業に加わった。誠実な「テロワール至上主義者」であるラルーは、それぞれの畑のそれぞれのテロワールの本質的な特徴を絶え間なくテイスティングすることで学んだ。私は彼女の言うテロワールが包含するものについて常に賛成ではないが、彼女の強い確信には感服している。


ラルーは、1988年までは家業であるネゴシアン業、ドメーヌ・ドーヴネの経営に満足していた。その年、彼女はルロワ所有の畑を増やす決断をし、ヴォーヌ・ロマネのシャルル・ノエラの14ヘクタールの地所とジュヴレ=シャンベルタンのフィリッピ=レミの3.4ヘクタールの畑を購入した。

現在のルロワの畑は、ブルゴーニュ・ルージュ、ブルゴーニュ・ブランとブルゴーニュ・アリゴテを網羅している(約6.5ヘクタールのジェネリックの産地)。オーセー・デュレス(約4.9 ヘクタールの村名アペラシオン)、ヴォルネー=サントノのプルミエ・クリュ「レ・サントノ=デュ=ミリュ」(約6.5ヘクタールのプルミエ・クリュ)、ポマール・レ・ヴィーニョとレ・トロワ・フォヨ、サヴィニー=レ=ボーヌ・プルミエ・クリュ・レ・ナルバントン、ニュイ=サン=ジョルジュ・オー・アヨ、オー・ラヴィエール、オー・バ・ド・コンブ、ヴォーヌ・ロマネ・レ・ジュヌヴリエール、ヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュ・オー・ブリュレとレ・ボー・モン、シャンボール= ミュジニー・レ・フルミエール、シャンボール=ミュジニー・プルミエ・クリュ・レ・シャルム、ジュヴレ=シャンベルタン、そしてジュヴレ=シャンベルタン・プルミエ・クリュ・レ・コンベットである。

ルロワは、グラン・クリュの地区(約6.9ヘクタール)に9つの畑を所有している。コルトン=シャルルマーニュ(白ワイン)、コルトン=ルナール、リシュブール、ロマネ=サン= ヴィヴァン、クロ・ド・ヴージョ、ミュジニー、クロ・ド・ラ・ロシュ、ラトリシエール=シャンベルタンとシャンベルタンである。

1992年1月1日までルロワはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ=コンティ(DRC)のワインの販売業者であり、現在もなおルロワ家はDRCの株式を50%所有している。

ブルゴーニュにおいて、ラルー・ビーズ=ルロワには、私がかつてそうしたように、多くの批判がある。あれほど深い色のワインをつくっているために、一部生産者は彼女が、法律に反してワインに手を加えていると非難している。また、ルロワの収量は「そんなはずがないと思われるほどの低さ」なので、彼女が別のセラーにグラン・クリュを何百本も隠していると主張する者もいる。もちろん、すべてナンセンスである。他のワイン醸造家がラルーの進んだ道に続こうとするかもしれない、と死ぬほど怖がっている生産者による、あきれるような嫉妬の言動であることは言うまでもない。

文字どおりの意味でも、またブルゴーニュが生み出すことができる最上のワインへの追求という比揄的な意味でも、約15年間、ビーズ=ルロワはブルゴーニュのピラミッドの頂点に、ただひとりで屹立している。私が人生で味わう最も偉大なブルゴーニュの赤ワインになるかもしれないワインについて説明しようとすることは、犯罪に近い行為かもしれない。慎みのない(歯に衣着せない)ラルー・ビーズ=ルロワですら、こうしたワインは、「自然がもたらした偶然の出来事」と言うのだから。ルロワのワインをテイスティングすると、並外れたブドウの完熟感、とろみ、豪華さがあり、硬いタンニンが見つからないところから、誰もがこう思う。そうだ、低収量は、生理学的に熟した果実味と凝縮感のあるワインと無上の品質をもたらすのだ、と。言うまでもなく、セラーのすべてのワインは、フレンチ・オークの新樽100%で熟成されており (凝縮感があるためにワインからは樽香は全く感じられないに違いない)、清澄や濾過を経ずに瓶詰めされる。
 

精力的なマダム・ラルー・ビーズールロワについては多くのことが書かれている。その中には悪意のあるものもあれば、厳密に言えば陰湿な嫉妬が動機となっているものもある。確かに、彼女の値付けの体系(ブルゴーニュで最も高額なワインである)について文句を言うのはたやすい。しかし、ブルゴーニュ・ワインのあるべき姿についての彼女の哲学は、決して批判されるべきではない。彼女のワインは、ブルゴーニュにおけるピノ・ノワールとシャルドネの、最も高貴で最も純粋な表現物なのである。ワインは、過保護児童のように世話をされて、決して清澄されることもなく、樽毎に瓶詰めされている。彼女のワインの大きさと力強さとしっかりした構造を考えると、冷涼な気温と湿度のあるセラーで20〜25年は持ちこたえるだろう。

彼女のワインがブルゴーニュのワインの指標であることを確信しているのは私だけではない。著名な醸造学者であるジャック・プサイはこう発言している。「我々はルーヴルにいる。これらはワインとその言語に関する文化的な記念碑だ」非常に入気のあるライター、ジャン・ルノワールは、ルロワのセラーを、偉大な芸術作品を参照するための場所であるフランス国立図書館になぞらえている。

最後に個人的な言葉を書いておきたい。私はラルー・ビーズ=ルロワとは25年以上親交がある。華著な体つきをした女性であるが、性格には存在感がある。並外れた個性と、容赦のないと言っていいほど間違いのないビジネス・スタイルにもかかわらず、できる限り最上の仕事をしようとしている彼女は、白分白身をワイン業界の最先端に押し出そうとしている反面、もろい人物という印象を与えている。すべての議論には裏と表があるものだが、私は、ラルー・ビーズ=ルロワほどブルゴーニュの偉大な伝統を護ることにこだわっている人物に逢ったことがない。2004年に愛する夫のマルセルを失ったことは、大きな精神的打撃であった。彼は、もの静かで品位のある人物で、元気いっぱいのラルーの背後で、大きな影響を静かに与えていた。私はラルー・ビーズ=ルロワがこれまでの人生で様々な試練を――畑に戻り、取引の世界で競争相手を負かすことで――乗り越えてきたように、夫の死を乗り越えてほしいと願っている。いつも彼女がうまくやってきたように。