ロバート・パーカー著「世界の極上ワイン」より

究極の舌を持つテイスター、ワインの世界を変えた男、 帝王ロバート・パーカー自身の厳しい眼で選ばれた9カ国156のワイナリーを詳述しています。それはまさにパーカー自身の過去30年にわたるワイン評論の集大成と呼べるもので、ここまで冷静かつ詳しく調べ上げていることに感嘆させられます。

シャトー・ムートン・ロートシルト(Mouton Rothschild)

5大シャトーで唯一昇格を経験した名門

英国のロスチャイルド家の一員であったナサニエル・ド・ロートシルト男爵は1853年にシャトー・ブラーヌ=ムートンを購入して、シャトーの名前をシャトー・ムートン・ロートシルトに変えた。1922年にはナサニエルの曾孫にあたるフィリップ・ド・ロートシルト男爵(1902〜1988年)がこのシャトーを購入した。 1924年にフィリップ・ド・ロートシルト男爵は、初めてシャトーでの瓶詰め(シャトー元詰め)を導入した。1926年には、名高いグラン・シェ(奥行き100メートルの熟成用セラー)を建設した。このセラーはムートンを訪れる人の主なアトラクションとなっている。1933年に彼は、隣接する1855年の格付けシャトーであるシャトー・ムートン・ダルマイヤックを購入して、シャトー・ダルマイヤックと名前を変え、所有地を拡大した。

ムートン・ロートシルトの地位とワインは、故フィリップ・ド・ロートシルト男爵が独自につくりあげたものである。21 歳でこのシャトーを受け継いだ時に、彼がムートンに対し並々ならぬ野心を抱いていたことは疑う余地はない。とはいえ、彼は誰も想像ができなかったほどこのシャトーの評判を高めたのだ。彼はメドックのワインの1855年の格付けの変更を成し遂げることができた唯一の入物である。何年間もロビー活動を続けた後に、1973年にムートン・ロートシルトは公式に一級に格付けされた。その際に派手好きな男爵は挑戦的なラベルの言葉を、「一級にはなれないが、二級の名には甘んじられぬ、余はムートンなり」から、「余は一級であり、かつては二級であった、ムートンは不変なり」と変えている。

男爵は1998年1月に他界した。今はその娘で、男爵同様カリスマ性のあるフィリピーヌがこのワイン醸造帝国の精神的頂点にいる。彼女は、エルヴェ・ベルローが率いるムートンの有能なチームから並々ならぬ協力を引き続き得ている。

疑問の余地なく、私が飲んだボルドーの最も偉大なワインのいくつかはムートンだ。2003年、2000年、1996年、1995年、1986年、1982年、1959年、1955年、1953年、1947年、1945 年、そして1929年は最高のムートンの気絶するほどすばらしい例である。

だが、一級シャトーとしては恥じ入るしかない、そしてそれを買って飲む消費者にとっても明らかに腹立たしくなるような、凡庸なヴィンテージもあまりに多かった。1990年、1980年、1979年、1978年、1977年、1976年、1974 年、1973年、1967年、1964年は、一級シャトーの水準をはるかに下回った。1990年と1989年というふたつの有名なヴィンテージでさえ、卓越したヴィンテージに一級シャトーに期待されるワインとしては、驚くほど生硬で、凝縮感に欠けていた。

とはいえ、なぜこのワインが商業的に成功したか、理由はいろいろある。まず、ムートンのラベルがコレクターズ・アイテムであること。1945年以来、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、毎年、ひとりの画家に1枚の絵の作成を依頼し、それがラベルを飾った。ムートン・ロートシルトのラベルに登場する大家にはこと欠かなかった。ヨーロッパからミロ、ピカソ、シャガールにコクトー、アメリカ人ではウォーホル、マザーウェル、そして1982年にはジョン・ヒューストンが起用された。次に、偉大なヴィンテージにおけるムートンの豪華さが、ラフィット・ロートシルトの生硬な優美さや、パワフルで、タニックで、濃厚で筋肉質なラトゥールとは、かなり異なるスタイルを持っていることがあげられる。三番目には、申し分なく維持されたシャトー自体が、その卓越したワイン博物館とともに、メドックの(そして多分ボルドー全域でも)最高の観光地であることだ。